ノートPCを解体するようになった理由

さて、最初に自分のスキルは現状「T芝の法人用ノートPCなら30分で全解体できる程度」となる。何でそんなに具体的なのかと言うと、この間液晶まで含めてバラした時の実測値だからだ。
この間閉店した店の地下にあったジャンクコーナーで籠から(1万円+ACアダプタ代で)拾い上げたノートPCだったが、バラして生きてるパーツ単位で単品売りしたら6割以上のリターンになったというのは先に書いた通り。
とは言えそこまでに至る道は屍山血河、最初に「買わされた」ノートPCと「自分で選んで買った」ノートPCで手痛い目にあったところから話は始まる。

CAD用のPC-9801で遊ぶところから始まった自分のPC遍歴、小学生高学年の頃にはパスワードハックやルートハックしてゲームする所謂「クラッカーなりかけ」馬鹿に成長していた。
Windows95の頃は警察署の公共用PCでもゲームしようと思えばゲームできたおおらかな時代、後の悪夢など知るよしも無かった。
悪夢とは何か?当時(後に知ることになるが)悪名高かったアルファベット2文字の地雷と漢字3文字の地雷を両方とも踏んだのだ。

最初に踏んだ地雷はWindows「me」、発売一月後に買って「買わされた」ノートPCに入れたら見事なまでの「トラブルmeたん大行進」だ。
1週間あれやこれやと手を尽くしたが、あの起動フリーズの山で結局打つ手なしとなってしまった。今でも起動時のずっと流れ続ける起動中のスクロール→フリーズ→再起動ループは明瞭に覚えている。
……まあ、メモリが足りないことに気付いていなかった辺り、当時の自分は馬鹿だったということだろう。
トラブルmeたんによって新しいPCを買うことは決まったが、そこで踏んでしまった二度目の地雷こそが「富士通」である。
当時高架沿いの石丸電気(今は更地になって工事中のあの場所)の一階でノートPCを買おうとすると、OSの選択肢はほぼme一択で他の選択肢は殆どない状況だった。……vista発売当初の国産PC地獄を思い出すのは自分だけだろうか?
そんな中、唯一98SEで残っていて尚且つ特価処分で安くなっていた(唯一20万を切ってた)のが富士通の片落ち品だった。一も二もなく飛び付いたのを覚えている。

……さて、当時の富士通は「FMV BIBLO」というブランドで販売していた。後年「不治痛」とまで言われることになる伝説の世代だ、自分は見事にそれを引き当ててしまい、1年以内でDCコネクタが基盤から「剥離」してしまった。
半田付けコネクタの剥離だけであればまだたまによくあるノートPCの持病だが、富士通はここからが凄かった。と、いうか心底酷かった。
買った石丸経由でメーカーに修理依頼したところ、一ヶ月後に全く修理されていない状態のPCが修理レポートと共に戻ってきた。
修理レポート曰く「症状と状態は確認できたが、自社のサポート部門では分解できなかったので修理できなかった。現状返しになる」
……自分の会社のサポート部門が匙を投げるような複雑極まる構造だったのだ、当時の富士通は。
気が収まらなかった自分は自身で分解を試み……て、心底頭を抱えることになった。同じネジ頭で長さが3種類か4種類ほどあるネジが混用されていて、分解どころか「この長さのネジはどこだっけ?」と首を傾げる有り様。
しかもネジを(隠しネジ含めて全部)外してもまだカバーが外れない心折設計。結局ネジを数本余らせた状態で騙し騙し使うことになってしまった。

この苦い経験こそが自分を「ジャンクヤードスクラップビルダー」化せしめる原動力となったのだが、今でも正直思うところがある。
当時あの二大地雷を踏まなかったらvistaとnehalemモバイルCPUの二大地雷原で両足吹っ飛ばして退場していたんだろうな、と……
……え?meと富士通の時点で既に両足義足だろうって?なにも言い返せん()